やっぱボクシング界、史上最強といえばマイク・タイソンをおいてほかにいないでしょう。
タイソンの魅力はやっぱり敵を力でねじ伏せることだと思います。
子供の頃、まじあこがれてました。
そんなタイソンについて今日は説明します!
マイク・ジェラルド・カークパトリック・タイソン (1966年6月30日 - )は、1980年代後半から1990年代にかけて活躍したアメリカ合衆国の元プロボクサー。現在は格闘技興行主。ヘビー級としては小柄ながら桁外れのパンチ力と驚異的なスピード、急所を正確にコンビネーションで打ち抜く高度なオフェンス技術、そして相手のパンチをガードに頼らず、そのほとんどを空に切らせる鉄壁のディフェンス技術を武器に次々に大男たちをマットに沈めた。身長180cm(諸説あるが、慈恵医大で測定時きちんと背を伸ばして測定したところジャスト180cmだった。)、リーチ 180cm。周囲50cmの首を誇る。顔と両腕、そして腹部に刺青を彫っている。絵柄は毛沢東(右腕)、アーサー・アッシュ(左腕)、チェ・ゲバラ(左脇腹)。最盛期のタイソンはモハメド・アリと並んで史上最強ボクサーの有力な候補である。
■経歴
1985年3月6日、18歳にしてプロデビューしヘクター・メルセデスに1RTKO勝ちで初戦を白星で飾る。
この年、11連勝を飾った直後トレーナーのカス・ダマトが死去。その後、通算28連勝し1986年11月22日、29戦目にしてトレバー・バービックに2RTKO勝利し、WBC世界ヘビー級王座を獲得。
史上最年少(20歳5ヶ月)で、世界王者となる。
翌年、1987年3月7日にはジェームス・スミスに判定勝ちし、WBA世界ヘビー級タイトルを獲得。さらに同年8月、トニー・タッカーに判定勝ちしてIBF世界ヘビー級タイトルを獲得して3団体統一に成功。
1988年2月に、元ファッションモデルで女優のロビン・ギブンスと結婚。だがすぐに離婚した。通算9度の防衛に成功することになるが、1988年に行われたマイケル・スピンクス戦後、カス・ダマトがその生前絶対に組んではいけないと言っていたドン・キングにプロモートを受けるようになってからは精彩を欠くようになる。
一般的にこの1988年までがタイソンの絶頂期と言われている。この年の後半、ダマトの死後からそのボクシング理論を引き継いでタイソンに教えていたケビン・ルーニーを突然解雇。ボクシングを始めた頃からの後援者でありマネージャーでもあったビル・ケイトンも解雇し、ダマトが残したチームはバラバラとなる。家族同然だったルーニーはボクシングのトレーナーとしてだけでなく、タイソンのモラルや私生活の監視役でもあった。
新しいチーム態勢ではタイソンの周囲に金目当ての「イエスマン」ばかりが集まり、タイソンの私生活は急激に乱れる。 離婚騒動、自殺未遂、訴訟沙汰、交通事故、放蕩、練習不足、度重なった試合の延期…タイソンの周辺が急におかしくなりリング外でのトラブルの話題が増えていく。
案の定、プロ入り以来初めての長期ブランクを経た1989年のフランク・ブルーノ戦では、別人のような緩慢で雑なボクシングを披露した。このブルーノ戦はそれでも勝ったがまともにカウンターを貰い初めてグラつく姿も見せている。タイソンの兄弟子ホセ・トーレスはこの試合を見て「カスが教えたものは何もかも失われていた。左右への動き、コンビネーション、タイミング、忍耐、最も基本的な左ジャブ・・・。そして、カス・ダマトと深い繋がりのあったコーナーマン達もそこにはいなかった・・。」というコメントを残している。次戦のカール・ウイリアムス戦では、わずか1Rのフック一発で試合が決したため目立たなかったが、その動きにかつての切れはなく、生放送では解説の浜田剛史がタイソンのボクシングに首を傾げるような発言をしている。 次戦、タイソンは試合を急にキャンセル(ドノバン・ラドックとの防衛戦が決定していた)するなど相変わらずゴタゴタが続き、1990年2月11日に日本の東京ドームでジェームス・ダグラスに10ラウンドKO負けしてタイトルを失う。 これがタイソンのキャリアにおける初黒星だった。さらにタイソンの転落は続く。1991年にディズィリー・ワシントンをホテルの一室でレイプしたとして1992年に刑務所へと収監された(この事件に関してケビン・ルーニーはタイソンがハメられたと見解を出している。
6年の懲役刑を言い渡されたが3年間服役後の1995年に仮釈放され、翌年の1996年3月16日、フランク・ブルーノを3RKOで破り、WBC世界ヘビー級タイトルを再度獲得し世界王者へと復権する。なお、服役中にイスラム教に改宗し、マリク・アブドゥル・アシスという名を持った。同年9月、ブルース・セルドンを1ラウンドTKOで破り、WBA世界ヘビー級タイトルも獲得。再び統一王者になったが、11月にイベンダー・ホリフィールドに11ラウンドTKOで敗れ、タイトルを失う。翌年6月28日に行われた再戦ではホリフィールドのWBA世界ヘビー級王座に挑戦するが、有名な耳噛み事件(雑誌等で世紀の噛み付きとも称する)を起こし3R終了時に失格負けとなった。1998年に暴行容疑で逮捕。2002年6月8日にレノックス・ルイスの持つWBC、IBF、IBO世界ヘビー級王座に挑戦するが8RKO負け。2003年6月、暴行容疑で再度逮捕。2004年4月15日、K-1の試合出場契約を結ぶ。日本国内でのプロモート契約であるが、薬物犯罪者は日本に入国できないため、実現は不可能である。2004年7月30日、復帰戦となるノンタイトルマッチで1ラウンド中盤で膝の靭帯断裂。その怪我が響き、ダニー・ウィリアムズに4ラウンドKO負け。2004年12月、器物損壊容疑で逮捕。2005年6月12日、前回の試合で傷めた膝を手術し復帰。無名のケビン・マクブライドを相手に戦うも、年齢から来る体力の衰え、そして膝の怪我の影響からか動きに精彩を欠き、6ラウンド終了後棄権しTKO負け。試合後のリング上でのインタビューで 「もうこれ以上、ボクシングを侮辱したくない」 と、引退を示唆した。正式な引退発表しなかったが、結局はこれが最後の試合となり、1985年のプロデビューから2005年まで丸20年のプロキャリアに終止符を打った。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
子供心に覚えているのは1989年のフランク・ブルーノ戦でタイソンがおかしくなって私自身非常にショックを受けたのを覚えている。タイソン=無敵というイメージがあったから。
歯車がどんどん狂っていったタイソンだけど、やはり彼からもらった感動は今でも私の中で生きてます。